先日長崎へ旅行した流れで宮崎県延岡へちょっと足を延ばした。
延岡は旭化成の城下町的な街で随所に旭化成色が出ている。現役時代に大阪本社と工場地区の連携で大変お世話になった方々がおられ、日曜日の夜にも関わらずお付き合いしていただけた。人によっては5年~10年ぶりくらいか?
帰り長崎に戻る途中は、西郷隆盛の西南戦争時の和田越え決戦にやぶれた最後の軍議を開き、薩軍解散布告令を出し軍を解散した場所に立ち寄りました。パンフレットによると「延岡俵野の可愛山稜(えのみささぎ)が天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御陵墓だということを知っていて、あえて袋小路のようなこの場所に宿陣したことが、近年、資料や証言から明らかになった。西郷は政府軍が天皇家の先祖の墓に向けて砲撃できないであろうと考えた。そしてその事実として、政府軍は3日2晩攻撃をしなかった。西郷たちは瓊瓊杵尊に守られて一時の安らぎを得ることができた」ということのようです。
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