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執筆者の写真川口建

薩摩堀川跡・薩摩藩蔵屋敷跡下屋敷 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-11

更新日:2022年1月9日

「豆知識」

今回の見学地であるこの周辺には薩摩の物産を取り扱う薩摩問屋が数多く集まり、砂糖・蝋(ろう)・煙草・鰹節などのほか琉球産品や琉球を経由する唐物などが運び込まれていたという。この薩摩堀を掘削したのは薩摩屋仁兵衛、鍋屋宗円など薩摩の物産を扱う問屋でした。これを記録したのが写真の記念碑である。明治期までは薩摩堀川が流れ、薩摩橋が架かっていた。




五代友厚が薩摩貿易に従事し西日本各地をまわっていた頃、商業の中心大阪には各藩の蔵屋敷が並んでいた。薩摩藩は、土佐堀沿いの上屋敷をはじめとして、その南西に中屋敷、さらに南の立売堀に下屋敷(現在の島津公園あたりに屋敷は有ったが、それを記す碑などは無い)を持っていた。


五代は官職で大阪に赴任し、下野後も身分は鹿児島藩士のままであり、藩より堺紡績掛を命じられたり、島津家の出資による国産物の委託販売店の支店がおかれ、国産会社大阪出張掛を任ぜられ短期間ではあるが大阪の取引を一手に引き受けていた時期もあった。




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