五代友厚歿後の借金
当時100万円を越す借金が有ったようです。大阪の近代化を進める資金が大半ですが、友人等の資金提供依頼に応じ用立てたお金も多く有ったそうです。
100万円の金額の大きさは当時の大阪の資産家の財産を調べた記事がありました。100万円超は鴻池善右衛門1名のみで、50万円以上が住友吉左衛門1名、30万円以上は藤田傳三郎ら名・・・といった状況です。五代はいかに大きな事業展開をしていたかが伺われます。
この借金は、九里龍作氏が五代家を相続(武子の婿)。新築したばかりの現日本銀行大阪支店の地にあった自宅を売却、残りはコツコツと返済し18年後の明治36年に完済しました。
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