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執筆者の写真川口建

富島天主堂跡 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-6

更新日:2022年1月9日

「豆知識」

この地は、フランス副領事レックが明治政府に請願して、明治12年(1879)に完成したカトリック礼拝堂で、赤レンガ造りのゴシック様式を取り入れた洋風建築物であった。

場所的には、川口運上所(大阪税関)の斜め向かいにあった。現在は川口聖マリア幼稚園となって当時の教会の雰囲気を想像させる建物になっている。外壁には当時のレンガ造りの外撃の土台が残っている。

なお、記念碑に刻まれているレック氏は、モンブランが阪神間の電信建設の願い出をするときに、大阪駐在のフランス副領事であったレックがモンブランの代理で、時の政府、五代と交渉した人物です。








また、富島には居留地とは別に外国人雑居地政府から認められて、日本人と中国人が住んでいた。中国人は中国料理店や理髪店などを営んでおり、当時にしては珍しく大阪の名物の一つになっていたようです。




五代友厚とは直接の関わりはないが、五代が当地域を管轄していたこと、外国人対応の居留地を管理していたことなどから鑑みて、交流の状況は十分に想像ができる。



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