地元、桑折町のパンフレットを中心に展示。
五代は奈良県の天和銅山を皮切りに、備前の和気銅山、播磨の大立鉱山を手中に収め、また鉱山統括会社「弘成館」を設立。その過程で半田銀山の採掘もおこなうようになる。半田銀山は、石見銀山(島根県)生野銀山(兵庫県)と並ぶ三大銀山の一つでもある。
五代はわずか1年ほどの間に「鉱山王」としてその名を轟かせた。
■明治維新における経済と産業近代化の先覚者、商都大阪を築いた大恩人■
あなたは、五代友厚を知っていますか!?
五代友厚公の精神を甦らせこの精神を引き継いでいく志の連帯を広げていこう
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