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執筆者の写真川口建

「西の五代、東の渋沢」


渋沢栄一は「近代日本経済の父」ともいわれ、近年注目を集めている。来年のNHK「大河ドラマ」の主役に決定し、また2024年度には新1万円札の肖像に採用され、大変すばらしいことです。


一方五代友厚は、現在において一般的には知られない存在にあります。日本史の教科書には「北海道開拓使官有物払下が事件」に暗躍した”政商”イメージ表現の記述がされ、五代の印象がより知名度の低い原因ともいえます。


しかしながら、かくて我が国の経済史学者の間では、今日に至るまで「東の渋沢、西の五代」の評価は定着しています。

東京大学土屋喬雄名誉教授(1896-1988)は、日本資本主義研究の権威であり、昭和29年6月刊行の著書(日本資本主義の経営史的研究)において次のように述べられた。


「明治時代における実業界の指導者とみるべき人々は、武士出身の先覚者が多いが、もっとも重要な人々は関東の指導者たる渋沢栄一と、関西の指導者である五代友厚である。

 五代友厚は渋沢のごとく永きにわたって我が財界を指導したのではなく、彼の明治以降の活動は短かった。しかし彼はその気宇の宏大なる、その識見の高邁なる、その志士的活動の偉大なる点において、また維新以降の活動が短かったとはいえ、それは渋沢と相並ぶ指導者としてのそれであり、大阪開発の第一の恩人であった点において、彼の地位は高く評価せらるべきものである。

 殊に幕末、維新における志士としての活動においては、渋沢のより5歳年長であった点と、薩摩藩儒官の子であったとという環境もあずかって、渋沢のそれよりもまされるものがある。この点において明治実業界において、五代の右に出るものはなかったといっても差支えない。」


"士魂商才”なる評語は最も彼に妥当するように思われる。」






 


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