1867年に「いろは丸事件」が発生。賠償問題で紀州藩と土佐藩が賠償交渉したお寺があった。聖福寺で現在は国指定重要文化財の指定を受けている。五代友厚もこの事件解決に大きく関わっている。
両藩の交渉が難航し「一戦も覚悟」という状態になったが、五代友厚のとりなしがあり交渉が継続され解決に至っている。
因みに、いろは丸は1866年に大洲藩郡中奉行国島六左衛門が、長崎に於いて五代友厚と坂本龍馬の仲介によりポルトガルから購入し、いろは丸と命名している。
このいろは丸を坂本龍馬の海援隊(土佐藩)が賃借りし海運業務をしていた。
紀州藩の軍艦明光丸と土佐藩のいろは丸が、現在の岡山県笠岡市辺りで衝突、いろは丸は大破、翌日沈没した。
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