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執筆者の写真川口建

日本の1867年万国博初参加の意義 五代友厚は先覚者

先日(2020/12/26)の産経新聞に「2025年大阪・関西万国博の基本計画が公表される」の記事が掲載された。実は、五代は万国博に関し155年前(1865)に大きく関わっていました。


五代は欧州使節団で薩摩藩の留学生と共に総勢19名で英国に渡りました。五代の役割は視察と近代設備・武器の調達が目的です。遂行中薩摩藩に「18ヶ条の建言書」を具体的に書き薩摩藩郵送してます。その建言の1項目に「パリ万博に出品すること」と書いています。欧州視察を進める中で、日本の富国のためには先進技術導入と海外諸国貿易の重要性を強く意識し、産業・経済界で世界と伍して競争するためには万国博出品が重要な方策と考えたのです。五代は即座に出展を決定し、当地での事後対応はモンブランに委託し帰国しました。


しかし、この決定までには次のような経緯がありました。

フランス当局は同時期に幕府派遣使節に参加するよう勧誘したが、消極的な態度で決断はしなかった。その後、態度を一転し出品に応じることとしたが、「大君(幕府)使節」が承諾したからには薩摩政府は出品に及ばずと主張して、薩摩藩の万国博出展を妨害しようとした。これに対し五代は、フランス政府から提案された幕府との共同出品を断固として断り、薩摩政府としての単独出品を主張しました。結果「日本大君政府」「薩摩太守政府」肥前太守政府」の三者それぞれの出品となった。薩摩の出品量、内容には目を見張るものがあったといわれています。


五代は帰国後、御納戸奉行格で御用人外国掛を命じられ、長崎在勤のまま万国博出品のため奔走しました。尚、この万国博出展は日本としての初めての万国博参加である。


2025年の万国博は「いのちをテーマ」とし、人と先端技術を融合した「世界に希望を」となっていますが、現実には現在世界中には飢餓に苦しんでいる人々が多くいます。

すべての人が夢をもてる地球にしたいですね。






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